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横浜地方裁判所 昭和35年(ワ)503号 判決 1963年1月21日

判   決

原告

右代表者法務大臣

中垣国男

右指定代理人

岩佐善己

被告

宮川茂

右訴訟代理人弁護士

畠山国重

鍵尾丞治

右当事者間の昭和三五年(ワ)第五〇三号求償金請求事件について当裁判所は次のとおり判決する。

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

原告指定代理人は、

1  被告は、原告に対し、六〇万二七七七円及び別紙労災保険給付額一覧表記載の各給付額に対する各給付日の翌日から完済まで年五分の金員の支払をせよ。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

との判決及び仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

1  被告は、昭和三二年九月二日午後一時五〇分頃、貨物自動三輪車(以下甲車という)を運転し、横浜市南区上永谷町三六五四番地先幅員約六米の道路上を、日野方面から平戸方面に向け時速約三〇粁で進行中、反対方向から走つて来た佐藤松之助の運転する軽自動二輪車(以下乙車という)と衝突した。衝突した地点は、永谷支三〇号電柱から西南六・二米の距離で、道路中心線上である。

2  被告は、右道路中心線より右側を走り、衝突地点の南方一九・一五米(原告の昭和三六年七月一四日付準備書面添付図面MNOP間の右距離の合計)の地点において、約五〇米前方に乙車を発見したが、道路東側には道路よりやや高い畑があり、畑には粟が一米余の高さで一面に生育し、道路は衝突地点を頂点として、北方平戸方面に向つて極端に右曲し、前方の見透しが非常に悪い上に、事故当時は小雨が降つていたのであるから、かかる場合、自動車運転者たる者は、衝突の危険のあることを考慮し、即時自車を道路の左側に寄せて正常の運行区分に回復するは勿論、左側運転に転じても、カーブ頂点の直前のため、対向車にとつては、突然右頂点附近に甲車が出現することとなり甲車が左側進行している場合に比し、はるかにその発見に困難なるものがあり、又対向車の進路如何によつては、甲車が確実に左側に寄つて進行できる状態に復するまでの間に近接対面するものであつて、対向車の進路選択の便宜を阻害するものであるから、かかる場合の運転者の注意義務は、特に曲角附近を継続して左側進行している場合に比し、複雑高度のものであり、危険防止のためには、自車の左側進行を対向車に予告するため警音器吹鳴、掛声等の合図をすることが必須の義務であるのに拘らず、右義務を怠り直に左側通行に移らず、警音器吹鳥等の合図もなさず前記発見地点から一一・三米(前記準備書面添付図面間MNOの各距離の合計)進行した際乙車との距離約一〇米に近接しはじめて危険を感じ、ブレーキを軽く踏み、左側にハンドルを切つたが、間に合わず、いまだ確実に左側に寄り得ず、車体右側が道路中央附近に斜めになつている状態で甲車前部右側角を乙車前部右側に接触せしめて佐藤松之助を転倒せしめよつて、同人に対し、右上腕骨骨折、右大腿右下腿複雑骨折、右膝骨骨折の傷害を与えた。

3  被告の右不法行為により、佐藤松之助は次のように、少くも合計二一〇万八六〇〇円の損害を蒙つた。

(イ)  佐藤松之助は、右傷害のため、昭和三二年九月二日から昭和三三年七月一八日まで横浜市立大学医学部病院において、同年八月八日から同年九月七日まで医療法人慈啓会大口病院において治療を受け、その治療費合計二一万八四二一円を要した。

(ロ)  佐藤松之助は、横浜市南区中里町九四番地佐藤製作所こと佐藤岩次郎の被用人にして、旋盤工として勤務し、事故前昭和三二年六月から同年八月までの三ケ月間毎月一万三〇〇〇円の賃金を受け、以上九二日間に三万九〇〇〇円一日平均四二三円九一銭の収入があつたが、本件事故により、昭和三二年九月二日から昭和三三年九月七日まで三七一日間休業し、その間の得べかりし利益一五万七二七〇円を喪つた。

(ハ)  更に、佐藤松之助は、負傷は治癒したものの、従前の労働能力は甚しく減少し、本件事故により受けた傷害は、労働基準法施行規則別表第二身体障害等級表によると、第四級に相当し、労働能力九二パーセントを喪失したことになり、同人は、昭和三三年九月七日当時三八年で、昭和二九年七月厚生省が発表した第九回生命表によると、年令三八年の男子の平均余命年数は三一・一一年であるので、昭和三三年九月八日以降の得べかりし利益をホフマン式計算法に準拠して算定すると、一七三万二九一九円となり、同人は本件事故により、同額の損害を蒙つたものである。

4  ところで、佐藤松之助は、事故当日午前一〇時頃佐藤製作所の取引先である二宮機械製作所に製品を届けに行き、鍍金を依頼しての帰途本件事故にあつたもので、同人の負傷は業務上の事由によるというべく、佐藤製作所は、労働者災害補償保険法による労災保険加入事業場であるので、原告は同法に基き、佐藤松之助の前記損害額の範囲内の補償金として、別紙労災保険給付額一覧表記載の各給付日に各給付額を支払い、その合計は六〇万二七七七円に達した。

5  原告は、同法第二〇条第一項により、前項の支給額を限度として、佐藤松之助の被告に対する損害賠償請求権を取得したので右支給額合計六〇万二七七七円及び各給付額に対する給付日の翌日から完済まで民法所定年五分の遅延損害金の支払を求める。

と陳述し、被告の坑弁を否認し(立証省略)た。

被告訴訟代理人は、請求棄却の判決を求め、答弁として

1、の事実中、被告が、原告主張の日時、甲車を運転し、横浜市南区上永谷町三六五四番地先道路上を日野方面から平戸方面に向け進行中、反対方向から走つて来た佐藤松之助の運転する乙車と衝突したことは認めるが、その余の事実は否認する。右道路の幅員は五米半ないし六米であり、被告は時速二〇粁以下で運転していた。衝突地点は永谷支三〇号電柱直前の道路東端から西方三・五米の地点で、甲車から向い、道路中央線より左側である。

2、の事実中、事故現場附近の道路がカーブをえがいていること、事故当時小雨が降つていたこと、被告が衝突直前ハンドルを左に切つたこと及び被告が警音器を吹鳴しなかつたことは認めるが、佐藤松之助が原告主張の如き傷害を受けたことは知らない。その余の事実は否認する。被告は、時速約四〇粁で対向して来る佐藤松之助の運転する乙車を発見し、速度を緩め、殆ど停車寸前の状態にして、自車を道路最左端一杯に寄せたが、乙車は速度を落すことなく、道路中央線を越えて右側に押し入つて進行を続けたため本件事故を起したものである。道路は緩いカーブをえがいてはいるが、見透し十分の場所であるから、警音器を吹鳴する義務はない。従つて、本件事故における非は全く佐藤松之助にあり、被告は無過失である。

3、の事実は知らない。

4、の事実は知らない。

と述べ、抗弁として、

仮りに、本件事故が被告の過失に因るとしても、佐藤松之助は当時眼鏡を使用し、雨滴が眼鏡に付着して前方注視が困難であるのに、四〇粁の時速を緩めることもせず、正常通行区分に従わずに道路右側を進行したため本件事故を起したもので、本件事故は佐藤松之助の過失にも基因するのであるから、損害の額を算定するについて、右過失を斟酌すべきである。

と述べ(立証省略)た。

理由

被告が昭和三二年九月二日午後一時五〇分頃、甲車を運転し、横浜市南区上永谷町三六五四番地先道路上を、日野方面から平戸方面に向け進行中、反対方向から走つて来た佐藤松之助の運転する乙車と衝突したことは、当事者間に争いがない。

そこで、両車の衝突地点がどこであるかを検討するに、(証拠―省略)によると、本件事故当日、神奈川県大岡警察署に勤務し、交通係主任をしていた神奈川巡査部長荻原武利は、同日午後二時五分から同三時四〇分までの間実況見分を行い、その際、被告に両車の接触地点の指示を求め、かつ、その指示する場所に、略面を金具で擦つた痕跡を認めたので、その擦過痕跡を乙車によりつくられたものとし、擦過痕跡のはじまりの点すなわち北端を接触地点と認定し、そこに甲第一八号証添付写真一枚目上段に見える三角錘を置いたことが認められ、後に認定するように、佐藤松之助は、両車が衝突するまで時速四〇粁以上で乙車を運転していたのであるから、両車接触後路面に擦過痕が刻まれるまで、乙車は僅かとはいえ走つていたことになるので、衝突地点は、正確には判らないが、三角錘を置いた場所よりほんのわずか北方で、大概永谷支三〇号電柱の附近であると認定するのが相当と思われる。被告本人尋問(第一・二回)の結果中、右部分に反する部分は、措信しがたい。而して、前顕証拠によると、甲第一八号証添付写真一枚目上段の写真(乙第一号証の写真と同一)中、道路上にある二条の白線は、甲車後車輪の通過痕であることが認められるので、両車の接触地点が道路中央線より西側にあること明らかであり、従つて、佐藤松之助は接触地点においては、道路通行区分に反し、右側を通行していたこととなる。被告はその第二回本人尋問において、右二条の白線のうち、左側のは、甲車前輪の通過痕にして、右側のは、乙車の通過痕である旨供述しているが、若しその供述のとおりとするならば、甲車は道路西方の測溝に転落したはずであるのに、被告本人尋問(第一回)の結果によると、甲車は接触後多少北進して道路上に停車したことが認められるので、右供述は、到底措信できない。甲第一八号証添付写真三枚目上段の写真(乙第五号証の写真と同一)、同下段の写真(乙第六号証の写真と同一)、被告本人尋問(第一回)の結果によると、甲乙両車が衝突した際、甲車荷箱右側前部の枠と乙車右側セフテイガイドとが接触し、甲車右側方向指示器と乙車右側ハンドルの角とが接触したことが認められるので、前記衝突地点に関する認定と相待ち、衝突時においては、甲車は、完全に道路左側を走り、乙車は、道路中心線を越え、完全に道路右側を走つていたことが認められる。

甲第一八号証によると、本件事故当時事故のあつた道路は、歩道と車道との区別がなく、又衝突地点附近において、佐藤松之助の進行方向前方から通行してくる歩行者があつたことの証拠はないので、佐藤松之助は、できる限り道路の左側を通行しなければならないのにかかわらず、同人は、前認定のように、通行区分に反し、道路右側を乙車を運転したのであり、若し、同人が道路左側を進行していれば、本件事故は発生しなかつたのであるから、本件事故の原因は、同人の通行区分違反の過失に因ることは明らかである。

しからば、被告の甲車運転に本件事故の原因となつた過失があつたかどうか。以下この点について検討する。

まず、甲車の速度であるが、甲車が衝突地点にさしかかる前どのくらいの速度であつたかを確認しうる証拠はなく、(証拠―省略)によれば、時速三〇粁前後ではなかつたかと想像されるが、本件事故は、甲車進行方向道路中心線より左側で発生しているのであるから、甲車の速度と事故発生の責任上の原因とは、関連がないものというべきである。

(証拠―省略)によると、被告は、事故のあつた道路が悪いので、悪い場所を避けながら、或は右側を或は左側を通り、衝突地点約八米手前では右側を通行していたことが認められ、通行区分に違反していたこととなるが、右証拠によると、被告は、衝突地点約八米手前において、危険を感じ、ハンドルを左に切り、衝突時には、左側通行に移つたことが認められるので、右側通行したことと本件事故発生との間には因果関係がないものというべく、従つて、被告の右側通行を本件事故の過失ということはできない。

次に、原告の主張する警音器吹鳴義務その他掛声等による合図をする義務があつたどうかについて判断する。(証拠―省略)を総合すると、本件事故のあつた道路は、衝突地点附近において、南方日野方面から北方平戸方面に向つて緩やかな下り匂配をなし、かつ、同地点附近を中心に南方に緩かな左カーブをえがき、北方に緩かな右カーブをえがいていること、右地点附近の道路の幅員は五・四米ないし六米であること、事故当時衝突地点附近の道路の東側には道路より約五〇糎高く畑があり、その畑には、植物の名は判然としないが、陸稲や唐黍の如きものが一面にかなりの高さに生育し、見透しの良くないことが認められるが、衝突地点附近は、道路交通取締法施行令(昭和二八年勅令第二六一号)第二九条第一項所定の警音器掛声その他の合図をしなければならない場所に該当しないし、右認定の如き緩いカーブの道路では、かりに、その見透しがより以上悪いとしても、具体的状況により警音器を吹鳴することが安全運転のために必要と認められる場合以外警音器を吹鳴する義務はなく、本件では警音器を吹鳴したり、掛声その他の合図をしなければならない具体的状況にあつたとは認められないので、この点についての被告の過失もない。このような場所を通行する自動車運転者としては、一人一人が事故が発生しないように注意し通行区分を守り、徐行すればよいので、それ以上に、一般的義務として、警音器吹鳴義務を課するのは、自動車運転者に対し、酷であり、その必要もない。

その他、被告の過失と目すべき点は、本件証拠上あらわれず、(証拠―省略)によると、佐藤松之助は、永谷支三〇号電柱の北方約一七米にある馬洗橋を通過するときは、道路中央線より左側を時速約四〇粁で乙車を運転したが、仕事の関係で気が急いでいたのと、交通閑散なのに気をゆるし、降雨中で着用の眼鏡に雨滴がかかり、前方注視が困難なのに拘らず、馬洗橋通過後は更に速度を増し、そのため、永谷支三〇号電柱附近のカーブを左に曲る際左側を通ることが困難で、道路中央線を越え、右側に入つて通行したため本件事故が発生したもので、本件事故の原因は、一にかかつて、佐藤松之助の通行区分違反にあり、右違反は、カーブにさしかかつた際徐行しなかつたことに基因するものというべきである。

以上認定の如く、本件事故につき、被告にはその原因をなす過失が認められないのであるから、原告のその余の主張事実に対する判断をするまでもなく、原告の本訴請求は失当として棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

横浜地方裁判所第二民事部

裁判官 小 山 俊 彦

労災保険給付額一覧表(省略)

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